冴えカノを読んだとか、最近の生活とか

冴えカノを今更読んで、めちゃめちゃ最高だったという感情を今更発散している今日このごろです。

恵ちゃんめっっっっちゃ可愛いなという感想に尽きますね。

まあそのへんは置いておいて(加藤恵ちゃんの魅力なんて他の人が散々語りまくっているでしょうし)、思ったことを。

天才って、笑ってしまうほどありふれて存在するんですよね。

IQがどうこうとかいう天才キャラじゃなくて、何かを突き詰めて、素人ではどうしようもないところまで行っているように見える人って、本当にありふれている。

彼らはきっとIQが200とかあるわけじゃなくて、ありふれた凡人に少しの才能と巨大なエネルギーを加えただけの存在なのでしょう。まあ、その少しの才能も巨大なエネルギーもないのが凡人なのだけど。

そのありふれた(けれどそれなりには稀な)天才が主人公の周りに何人もいるというのは、創作的ご都合主義の産物ではあるのでしょうけど。

しかし、僕の見る世界にも、この人は天才だと、そう思えるような人が何人もいる。

ですから、きっと、ほとんどの人間はそういった人を知っているのでしょう。

何が言いたいのかと言いますと、私はこのラノベを読んで、なれる!SEを思い出したのです。

話の内容としては、全然違います。しかし、天才に囲まれる”自称凡人”の主人公というキャラ付けは、非常に似通っている気がしてしまいます。

けれど、一つだけ、私の中では違う部分があって。

“自称凡人”な主人公の秘める”万能性”について、です。

なれる!SEの工兵くんの成長っぷりは、ご都合主義的な常規の逸し方として、私は違和感を感じずに読むことが出来ました。

冴えカノの倫也くんの成長っぷりは、どうしても、私には遠い世界過ぎて違和感を感じてしまったのです。

もちろん、これはライトノベルです。ADV的な、主人公=自分の方程式は成り立ちません。主人公は主人公であり、確固たる人格を持つ物語上の語り部なのです。

しかし、人間はどうしたって一人称視点で語られていたら主人公として感情移入してしまう生き物で、そして倫也くんは”突然ギャルゲーの全ルートを一人で書き上げてしまった”のです。

いや無理だろ。

倫也くんの物書き描写ってブログやってたところしかないじゃん。確かに人気ブロガーらしい描写はちょこっとだけあったけどそれにしたってブログ書いてる描写もないじゃん。なんでお前そんな文章書けんねん。一日で一ルート書き上げるの化物でしょなんやねんお前その文才俺にくれよなあ頼むから。

その点、工兵くんはコミュ力全振りで周りの天才パワーでなんとかする人間なので、コミュ力爆裂ご都合主人公ならどうにでもなるよなあという感じになってしまうわけです。

工兵くんのNEとしての能力?俺は2日でネスペ取ったぞひれ伏せ。

いや冗談ですが、あれは普通の人間で十分出来る領域に収まっています。

倫也くん、超人すぎない?

これが正直な感想です。

でもきっと、そういう物語なのだから、そういうことなのでしょう。

つまり、冴えカノは”英梨々の絵”に”倫也のテキスト”でゲームを作る可能性が内包された世界であり、その名残りとして、倫也くんにはテキスト執筆能力が創造神によって与えられていた、と。

そういうこととして、受け取っておきましょう。

なんか下らないことをぐだぐだと書いていましたが、とにかく加藤恵ちゃんの可愛さはとんでもないので読んでください。ちなみに私はWA2だとかずさ派ですが、英梨々派じゃなかったのは、なんでだろうね。
英梨々好きなんですよ。2番目に。

英梨々派じゃなかったのは、なんででしょうね。
恵ちゃんが小木曽雪菜よりも利己的でなかったという好感度アップポイントもあるんでしょうけど、なんでしょう。

結局、この物語の中で、恵ちゃんだけが天才とかじゃなくて、その目で見ている世界も、クリエイター同士の殺伐とした景色じゃなくて、
ただフラットに、自分の友達と、好きな人と、サークル活動がしたい、という単純で強い意志が、
シリアス展開で蚊帳の外になる日常の中にいる系ヒロインじゃなくて、
シリアス展開の中でもその単純で強い意志を振り回して戦える強さが、メインヒロインの魅力なんでしょうね。

奇をてらわない、王道の、テンプレなんて全く無い、天才でもない、冴えないヒロインは、この天才ばかりの物語の中で、確かに個性的で、メインヒロイン的だったんでしょう。

劇場版が楽しみです。

最近の生活。

僕は昨日と今日でたこ焼きとうどんしか食べておらず。

明日から5日間を一食パン一枚で生活する予定です。

食費は、大切にしようね。

以上

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