最近、なにかと忙しい。
ETロボコンだったり、なんとか決まった編入先の大学の手続きだったり、学生の本分である研究だったり。
忙しい忙しいと言っているが、実際忙しいと感じているのは雑務である。
ETロボコンのプログラムを書くのは楽しいし、研究のプログラムを書くのも楽しい。編入先の大学生活は楽しみだし、後輩と関わって色々なことをするのは大好きだ。
雑務は楽しくない。
たまたま僕がやっているだけで、僕がやらなくても誰でも出来るし、僕がやる意義もないことをやっている。
情報を集めて、紙を書いて、書類として出して、手続きをする。
それこそ10年後にAIに奪われていて欲しい仕事ばかりだ。
僕は、これらの雑務を「本質的でないもの」、と形容してしまう。
では、本質的なものとは?
人間はいつかは死ぬのだから後世に残るものを作れ、という人は多い。
人は死んで名を残すということわざもある。
しかし、僕にとって死んだ後の世界のことなど知ったことではないのだ。
そんな僕にとって本質的なものとはなんだろう。
後世に残る必要はない。多くの人に認められる必要もない。
少なくとも、それは楽しい必要がある。
反対に、楽しければそれはなんでも良いのだ。
ゲームでも、食事でも、恋愛でも、読書でも、アニメでも、あるいは睡眠だって。
趣味のプログラミング、情報発信、小説執筆、なんでもそうだ。
楽しければ、それは生きている価値になる。他人が認める必要もないし、後世に残る必要もない。
楽しいことだけして生きていたい。楽しい人生にしたい。
最近はそんな感じです。忙しいと思っていない瞬間では、毎日が楽しいです。