とりとめのない思考、あるいは脳内メモリのコアダンプ
他人の思考に追い付くこと
月に辿り着くという例えがあった。
天才が月を目指し、辿り着く。
凡人は天才が月に届くのを見て、努力し、月への道を作り出す。
あるいは、天才が真理の星を見出し、凡人がそれを地に墜とす。
ピタゴラスが見出した数学の神を、現代の中学生が居眠りしながら学ぶ。
天才が見出した真理まで、凡人が歩いていくことが出来る。
天才が組成を見出した青色発光ダイオードを、工場で普通のおっさんが製造する
Appleが生み出したスマートフォンという概念が、Googleの引いたAndroidというレールで粗製乱造されてゆく
まだ、届いている。
では、届かない時は?
AlphaGoの記事を読んだ。
人間が今のところ分からない手筋だと、日本及び韓国のプロが言う。
これから何年掛ければそれは分かるのだろうか。
フェルマーの最終定理の証明には360年かかった。
フェルマーという一人の人間が辿りついた月に、360年もの時間と途方もない数の人間が力を合わせてやっと航路が引けたのだ。
一人の天才に人間は余りにも無力だ。
レクター博士はクラリスにヒントを与えたが、彼自身はそのヒント通りには事件を紐解いていないだろう。
人間と人間とで生じる差を埋めるので360年かかった。
では、人間より優れてしまった機械と人間とで生じる差を埋めるのには何年かかる?
人類という種そのものが理解出来ない真理にコンピューターは辿り着けるかも知れない。
言い方を変えると、コンピューターが導き出す真理が人類という種が辿り着けない時が来るかもしれない。
チンパンジーは頭は良いかもしれないが英語はきっと喋れない。
仮に天才チンパンジーがいたとしてもシェイクスピアを書く事は出来ない。
あるいは、タイプライターを無限に叩いたとしても意味の理解は不可能だ。
人間にも種としての限界は必ずある。
空を飛べないように。車より早く走れないように。
しかし人間は道具を使い、その壁を越えていった。
人間より速く走れる機械、人間より高く飛べる機械。
そして、人間より賢く考えられる機械が出来る時が今着々と近づいている。
しかしきっと、種としての本質は何も変わらないのだろう。
走り、飛び、宇宙へ出て、水中に潜り、明日の天気を予想しても、
人間は食べて寝てセックスをして、喧嘩をして神頼みをして生きている。
人間は所詮その程度でしかないのだ。
どっちにしろ生きて死ぬ。
それはこの先もまだまだ変わりそうにない。
不死不老が実現したらびっくりしよう。
それまではまだ、テクノロジーの進展にわくわくするだけでいいはずだ。